過去の挨拶文(令和5年)
令和5年8月の挨拶文
台風7号の被害が心配されましたが奈良ではそれほどでもなかったようです。
これまでの人生の大半を奈良盆地で過ごしてきましたが、大きな災害に遭遇したことがありません。海や大きな川がないお陰だと思います。
魅力の少ない故郷だと思っていましたが、少しは良いところもあるようです。

令和5年7月の挨拶文
暑さのせいか、屋内でマスクを外す人が増えてきました。
電車内で乗客みんながマスクを外す情景なんか想像できませんでしたが、最近は半分以上の人たちがマスクを外しています。マスクを着けるのも外すのも結局は慣れの問題なのでしょう。
「酷暑」なんて言われていますが、この暑さもいずれは普通になるのかもしれません。

令和5年6月の挨拶文
被疑者や被告人については、いわゆる実刑判決を受ける前であっても、身体拘束しなければ適正な刑事裁判ができない危険性が高い場合(逃げてしまったり、証拠隠滅をする危険性が高い場合等)に限って、彼(女)らの身体を拘束をすることが法律上許容されます。弁護人は、適正な刑事裁判ができない危険性が高くない(つまり逃げたり証拠隠滅したりする危険性が低い)と考えられる場合は、依頼人である被疑者、被告人の身体拘束を解くべきと裁判官に主張します。
毎度理解に苦しむのが、身体拘束の是非についての裁判官たちのスタンスです。扱っている法律が違うんじゃないかと思わずにはいられない程です。
たとえば弁護人が「本件には『A』という事情がありますが、これを法律にあてはめると『B』と解釈できるので、身体拘束は解くべきです。」という主張をした場合、彼(女)らは「本件には『A』という事情がない。」とも言わないし「法律にあてはめても『B』と解釈できない。」とも言いません。『A』や『B』に触れることなく、ただ「身体拘束を解くべきではない。」と言って身体拘束を続けるだけです。
理論も熱意もない雑な説明には毎度のことながら吐き気を催す怒りを覚えますが、最近は吐き気を催す頻度が増えている気がします。
彼(女)ら自身が身体拘束を受ける経験をしなければ解決しないのではないか、最近はそこまで思うようになっています。

令和5年5月の挨拶文
5月になりました。
調停期日への出頭は弁護士の仕事のひとつですが,期日では相手方と代わる代わる調停委員と話し合うため,相手方が調停委員と協議している時間は裁判所内の待合室で待機しないといけません。
この待ち時間をどう過ごすかは弁護士によりけりですが,依頼者と作戦会議する,依頼者と一緒に相手方(または調停委員)の悪口を言う,スマホを触る,他の仕事の電話をする,何もしない,あたりが多いと思います。
私はというと,待合室に備え付けの雑誌や情報誌を読んだり,同じ部屋の人達の会話に聞き耳を立てていることが多いかもしれません。
ともあれ今月もよろしくお願いします。

令和5年4月の挨拶文
奈良でも統一地方選挙が盛り上がっていますね。
以下,10年以上日本に住むイギリス人男性から聞いた話です。
「日本の選挙は変。選挙カーで名前を連呼されたり握手を求められても鬱陶しいだけ。なんでこんなことで投票してもらえると思っているのだろう。ひたすらアンビリーバボー。」

令和5年3月の挨拶文
ここ数年はあまり花粉症に悩まされることがなかったのですが,今年のはなかなか強烈です。
先日は車を運転している最中に大きなクシャミが飛び出してヒヤッとしました。
薬に頼りたくなかったのですが,今年は考えてしまいます。

令和5年2月の挨拶文
1月は珍しく雪が降りました。
と言っても道路がうっすら白くなるくらいで雪ダルマを作ることもできません。それでも子どもたちは喜んではしゃいでいました。
上の子は3歳の途中まで丹後で育ったので、冬は雪ダルマを作ったりカマクラを作っていたのですが、そんなことはすっかり忘れて少しの雪でも大喜びするようになっていました。

令和5年1月の挨拶文
あけましておめでとうございます。
毎年、年初に具体的な一年の目標を決めることはしませんでしたが、40が近くなってきたので、今年からは「健康維持」を意識することにしました。
ともあれ今年もよろしくお願いします。
